Group Exhibition”New Traditional Arts -ROAD”
会期:
2019年2月24日(日)〜3月3日(日)
会場:
茶吉庵ギャラリー(大阪)
出展作家:
Hi*room hiromi / 梶川能一 / 御歌頭 / 北野雪経
ちょうりん美智子 / 藤原正和 / 辻モトミ / 高橋弘子
from Feb. 22 to Mar. 3. 2019
Venue: Chakitian gallery(Osaka, JAPAN)
Exhibitor: Hi*room hiromi / Yoshikazu Kajikawa / Okazu / Yukitsune Kitano
Tyourin Michiko / Masakazu Fujiwara / Motomi Tsuji / Hiroko Takahashi
関西を中心に活動する作家7名と北海道で活動する高橋弘子の8名でのグループ展。
高橋はアクリル画3点を出展いたしました。
自分は、どうしていつも言い訳しているんだろう。そしてどうして、なぜそうなったかという、自分自身による原因をなるべくたくさん挙げようとしたり、その言い訳をすることになった行動について「そうすることで、こういう意味で良い面もある」といった意味づけを探したり、本当は反省していないのに妙に一生懸命に「自分のせいであって、自分の責任だ」と思おうとしているんだろう。一方で、周りの誰かや状況のせいだと認めさせたいのに、それが本当に「周りのせいで、あなたは一切悪くない」と判定されると何だか居心地が悪いのはなぜだろう。
私は確かに失敗したし、実行しなかったし、間違えたし、謝らなかった。そのことに気がついた後でも、そのままにしていることもたくさんある。そのように自分が実際に行っていることと、「自分も世の中も、こうでありたい」と考えたり話したりする内容は大半が合致していなくて、それを気にしつつも、毎日また何かを決めて実行している。
最終的に現実の世界の中で何かを実行し続けているのが「私」なのだろうか。実行していることと話が合わなくても、何かに感化された理想を掲げたり、何らかの信念を持っているのが「私」なのだろうか。「その実行は理想と合致していない」と観察したり、言い訳しているのはどちらなのか。「私」は一つだと思うのだけど、様々な事情を正当化して抱え込んで、理想や信念や、実際の行動や言い訳の関係を複雑にしている(その複雑さは、私を多様な場面に対応させるかもしれないし、そのすっきりとしない感覚は、湿疹が治らない時に自分の体を自覚するように、「私がそこにいて、どこを向いていた」ということを自覚させるのかもしれない)。
私はこの複雑さを、これまでの人生のどこでどのように拾ってきたのだったろう。そして次の一歩の時、私はこの複雑さをどのように使うのだろう。あるいは、私のこの複雑さは、私をどこへ連れていくのだろう。