アンデパンダン展『流星群』

Société des Artistes Indépendants “meteor swarm”

studio sizmaさま主催のアンデパンダン展です。
高橋弘子も5点の連作で出展いたしました。

会期:
2019年8月2日(金)~8月25日(日)
会場:
studio sizma
(大阪府大阪市東成区中本5丁目27-15 なんでもやビル3F)

from Aug. 2 to Aug. 25 2019
Venue:studio sizma
(Osaka, Osaka, JAPAN)


展覧会のタイトルが『流星群』なので、流れ星を自分用テーマにしました。流れ星とは大まかに言って、宇宙空間のチリなどの流星物質が地球の大気圏に高速で突入するときに原子や分子と衝突することによってプラズマ化した際に発光し、残骸は地上に降り積もるとのことなのですが、「どのタイミングで自分がその状態に放出されるか自分で決められずに生まれてきて、周囲の様々なできごととぶつかって(そのことで状態が変化したり存在感を増すことがあり)、最後は土へ」というのが、なんだか人の一生と似ているのかなと思った次第です。そして落ちていく間に諸々の障害や試練にぶつかることによって痛みを覚える時に、自分の感情や価値観、執着などがあらわになったり、自分に肉体があることがより自覚されたりすることや、プラズマとなって光る時にその存在が外部から認識されたりして生きているのかなあと。その「生きている(と思われる)状態」がどこかで終わることは分かっているけど、終着点がいつどのような形で訪れるのかは知らないし、終着点だろうと想定しているところが本当に終着点かどうかは実は分かっていないのではないか…そんな話を描いています。

<会場掲示テキスト>
向こうからぶつかってきたのだろうか。私からぶつかっていったのだろうか。自分で走っているわけではないのに出来事や他人や老いは次々とやってきて、それらがぶつかって痛いとき、自分には感情と執着があるのだということ、自分に肉体があるのだということを思い知る。
それは、真っ暗な夜に雷が光って辺りを照らすとき、その一瞬だけ自分と、周りの風景が見えるようなものだと思う。終着点まで、ぶつかることの繰り返し。もし、何にもぶつかることなく過ごすとしたら、あるいは一度も雷が光らないとしたら、自分の感情や肉体について、どんなふうに把握していただろう。
この状態はどこかで終わることは知っている。でも自分はそんなにしっかりと終着点を目指していないし、そもそも終着点がどこか知らない。どんな地点か今まだ知らないし、近いのか遠いのかも知らない。そして、きっとこんなだろうと想像している終着点が、本当に終わりの地点なのかどうかも実は知らない。

“呱呱(ここ)(The cry of a baby at its birth)”, 2019, Circle diameter 250mm, acrylic, white wash, paper powder on canvas

“呪詛の報酬(Reward of the curse)”, “レーゾンデートル(raison d’etre)”
“けものみち(Animal trail)”, “太陽(The sun)”
2019, Circle diameter 150mm, acrylic, white wash, paper powder on canvas