第8回個展『DAMAGED』


8th solo exhibition “DAMAGED”

会期:2016年05月04日(水祝)〜2016年05月15日(日)
会場:ギャラリー犬養(札幌)
初日にライブペインティングを開催
(ライブ時即興音楽:鼓代弥生氏、チQ氏)

from May04 to May15, 2016
Venue:Gallery INUKAI(Sapporo City,Hokkaido,JAPAN)
Live painting at the solo exhibition first day
(Impromptu music at Live painting by Yayoi Kodai and Chi-Q)

 「自分のいのちはもう保てないであろう、またはいのちがすでにない、という時に戦う」とは何かを、展示の始まった今も考えています。「いのちよりも大切に思うものは何か」「自分のいのちがないとしてもそのためになら戦うと思えるものは何か」。人により、状況により、さまざまな回答があると思います。もちろん、まったく戦いたくないという人もいるでしょう。
 現時点でひとつ挙げるなら、わたしは「次」のためになら自分のいのちがない状態でも戦おうと思えるかもしれません。おそらくそれは自分が生きている間に関わりを持った範囲のもので、特別な物や表現、文化などが対象となるかもしれませんが、おそらく多くは社会を含む「人」になるのではと思うのです。
 そしてもしいのちがなくても戦わなくてはならないのであれば、いのちのある間に状況を整えておく必要があるのだろうかと考えました。自分がいのちをなくしたあとにも自分が守ろうと思うものを守れる効力を発揮する状況や状態です。それはつまりいのちのあるうちに「種をまく」ということです。種は必ずしも健康に芽吹き育つとは限らないので、多くまかなくてはならないでしょう。
 人間の想像の産物である竜—思考、推測、概念など—は人間が生きている間は必ず人間のそばにいますし、時には悪い作用を起こすこともあります。そして誰かの竜はその人が生きている間に周りの人や、周りの人が生み出す竜にも影響を及ぼし、その人が死んでも、竜の残像がどこかに残り続けるのかもしれません。
 そうであれば、わたしはわたしを顧みて、自分の竜と、撒いた種について考え、このあとに竜と種をどうしたいのかを考えなくてはならないのではないか。今の時点のわたしが思うのはそんなようなことです。しかしいずれにしても、わたしはこの考えについてさらに深く掘り下げていく必要を感じています。

 

MEDIA COVERAGE

 
“damaged-reflection-“(左), “damaged-speculation-“(右), 2016, 1800×2730mm, acrylic on panel
会場風景
“無題”(ライブペインティング作品), 2016, 610×900mm, acrylic on canvas